せとかわデニム語り#5 「生まれた町に笑顔を」お花と英語でデニプロを彩る愛華さんが見つけた宝物
「せとかわデニムプロジェクト」のメンバーひとりひとりの言葉や、これまでのあゆみをお届けする“せとかわデニム語り”。きょうの語り手は、京都府在住の愛華さんです。
兵庫県出身、京都府在住の愛華さん。瀬戸内出身ではないですが、実はせとかわメンバーとの大きな共通点がありました。「生まれた町に元気になってもらいたい」と語る愛華さんに、デニプロでの活動や今後の夢について語っていただきました。
お話の聞き手は、プロジェクトリーダーのみなみさんです。
プロフィール
語り手:愛華
兵庫県出身、京都府在住。英語を使った仕事をしながら、2010年から華展やワークショップを主催し、華道家(御室流華道教授)としても活動中。日本舞踊や箏で舞台に立つのも好き。歌舞伎や演劇など観るのも大好き。お花で笑顔の輪を広げたい。
聞き手:みなみ
1987年生まれ、備前市出身。瀬戸内かわいい部の運営メンバーで、せとかわデニムプロジェクトの発起人。PRやデザインの仕事を経たあと、2018年フリーランスになり「地域や文化のためのしごと」をテーマに働いている。かわいい雑貨、工芸、美術館をさがして、カメラ片手に旅するのが好き。
被災して気付いた郷里への想い
-今日はよろしくお願いします。さっそくですが、せとかわデニムプロジェクトに参加しようと思ったきっかけを聞かせていただけますか?
もともと、瀬戸内かわいい部のみなみさんと中高の同級生で、みなみさんからいろいろ話を聞いていました。まだ「瀬戸内かわいい部」という名前もなかった頃に、やすかさんたちと新しいコミュニティを立ち上げるって。きっかけが西日本豪雨ということで、私も水害で被災した気持ちが分かるから、応援できたらいいなと思ったのが最初ですね。
-水害で被災した気持ちが分かる?
2009年8月、出身地の兵庫県佐用町が水害に遭い、町の8割が水の底に沈みました。実はその5年程前にも水害に遭っていて、やっと立ち直ってきていた人たちに追い打ちをかける出来事でした。もともと私は地元がそんなに好きではなくて、嫌いでもないけど、都会みたいに遊ぶ場所もないし、何もないから友だちを呼ぶのにはちょっと恥ずかしいな、なんて思っていたのですが、生まれた町が滅茶苦茶になったのを見て、初めて失いたくないと思いました。水害の後の何もなくなってしまった泥だらけの町を今でも忘れないです。
(水害に遭ったあと、少しずつ元の風景を取り戻してきた街並)
(朝霧、星空、ひまわりetc…佐用の町には美しい景色がたくさんある)
だから、倉敷・真備町の水害が本当に辛くて…
なにか応援できたらいいなと思っていた時、尾道フォトウォークの開催を聞き、参加しました。岡山から尾道へ向かう電車の中で自己紹介をして、私の町も水害で…って話をしたら、初対面だったよしこさん(瀬戸内かわいい部の立ち上げメンバー)が、目を潤ませながら聞いてくれて、2人で号泣。電車の中ですよ(笑)よしこさんの人柄ですよね。すごい熱い方だなって感じました。
そのとき「生まれた町を失いたくない!なんとかしなくちゃ!でも(被災したから)“可哀想”じゃなくて、“素敵だね、綺麗だね”と思って来て欲しい」という皆さんの思いに、とても共感しました。そして、「私に力になれることがあればいいな、またやすかさんやよしこさんに会いたいな」と感じていました。
その後、フォトウォークから半年くらい経った時にデニプロの話を聞いて、参加できる機会があるなら参加してみたいと思いました。でも、岡山は地元でもないし、中途半端に参加してみんなに迷惑かけたらどうしようと思い、みなみさんに相談すると「できる範囲で参加してくれたら大丈夫!忙しくても離れてても参加できるプロジェクトにしたいから!」と言って貰ったので参加を決めました。
-もともと瀬戸内との関わりはあったんですか?
父親が小豆島出身で、祖母が亡くなる(11歳)までは毎月1回、父親と小豆島に行ってました。日生から船でゆっくり海を渡って、日生で買った牡蠣を庭の七輪で焼いて食べたり、地元の親戚と遊んだり。そういうゆったりした優しい記憶があって、ずっと瀬戸内は好きでした。
華展を通じて地元に笑顔を
-愛華さんは生け花を長く続けてるんですよね。2018年8月に地元・佐用町で主催した華展のことも、よかったらお話を聞かせていただけますか?
あのときは、みなみさんも東京から来てくれたんですよね。すごく嬉しかったです。
祖母が生け花の先生をしていたので、小さい頃から生け花は身近な存在でした。京都に来てからは、お家元に通うようになりました。
最初に主催した華展は、佐用町の水害の1年後に開いたものでした。
町は少しずつきれいになり、生活も落ち着きを取り戻しましたが、町には水害の被害により更地が増え、みんななんとなく元気がなくて…気持ち的に被災を引きずったままで。少しでも明るい気持ちになってほしいなと思って、追悼イベントの1周年が終わった秋に華展を開催することにしました。
華展に来てくれた方たちが、「きれいだね」「お花を見ると幸せになるね」「お花飾ることなんて忘れてた…久しぶりにあたたかい気持ちを思い出したよ」って言って笑ってくれて。そう言ってもらえることで私自身も笑顔になれたし、地元の人を笑顔にすることができて本当に嬉しくて、続けていけたらと思いました。
それからは、年に1、2回ワークショップを開いています。仕事が忙しく少し間隔が開くと、「次はいつやるんですか?」って声を掛けられたって父親から聞いて嬉しくなりました。
2018年の夏、お弟子さんが育ってきたこともあり、華展ができたらいいなと場所を探していた時、知人から宿場町にある県の重要建造物の古民家「瓜生原」(お食事処 お蕎麦が名物)を紹介してもらいました。
実は、暑さでお花が傷みやすいため、夏に華展をすることは珍しいのですが、どうしても多くの人が帰省してくるお盆に開きたかったんです。大きなテーマパークみたいなことはできないけど、ちょっと優しい気持ちや懐かしい気持ちになれたり、佐用に来てよかった、地元に帰ってきてよかったって思って貰えたらと思って。私にできることはお花を活けることだから。
-愛華さんから佐用の水害の話は聞いていたのですが、その年西日本豪雨で岡山が被害を受け、自分のうまれた町がなくなるという痛みが初めて分かって「今年は絶対に行かなきゃ」と思いました。
華展もよかったし、街並も綺麗で、瓜生原さんのお蕎麦もおいしくて、とてもよかったです。
チラシ、作ってくれたよね。最初は私が作ってたんですが、地図がうまく作れず、海外旅行中のみなみさんに「地図ってどうやって書いたらいい?」って連絡したら、「これはだめだ」って思ったのか全部修正されて返ってきて(笑) 添付ファイル開いてびっくり、「すっごいきれいなのに変わってる!」って。結局「でも、ここはね…」って注文までつけて、全部作ってもらいました(笑)
帰国後、そのお礼に浴衣をプレゼントしたら、華展の当日着てきてくれて。そうしたらあちこちで「何かイベントやってるの?」と聞かれたらしく、「友達が瓜生原で華展やってて…」と広告塔まで務めてくれました(笑) 地元の方や、大原(佐用から数駅の宿場町)の方まで「浴衣の子から聞いて」って来てくれました。(写真は、同時開催した生け花体験より)
地元の方はじめ、友人・知人、本当にたくさんの方が、うだるような暑さの中、京都・神戸・姫路など遠方からも駆けつけてくださって、観光の方も含め、2日間で200人以上の来場がありました。会場の瓜生原さんも、「例年のひまわりの時期よりも、たくさんのお客さんだった。毎年やってよ」と、大変喜んで下さいました。
(実は、この年、西日本豪雨の影響により、佐用町の観光名所であるひまわり畑の大半が被害を受け、観光客が激減していたそうです)
地元で華展をするにあたり、たくさんの方に助けて貰いました。年の近い地域おこし協力隊の子がいると聞き、連絡を取ったら「ぜひ手伝いたい」と言ってくれて、チラシも役場で印刷して、役場にも置いてくれました。当日は、町長さんも見にきてくれました。
夏場で、お花が傷みやすく心配していたら、瓜生原さんが業務用の氷をたくさん分けてくれたり、ふらっと寄った商工会のおじいちゃんたちが「こんなことやっとるんやったら、声掛けてや!今度やるときは、町中に回覧板回して、電車に広告出しちゃるから」と言ってくれたり…。
自分が町を好きじゃなかったから、町をなんとかしたいと思っている人が見えなかったんだと気づきました。行動を起こしたら、みんな助けようとしてくれる。何をやったらいいか分からないけど、町を元気にしたい、誰かがやるよ!って声を上げたら、応援したいと思ってくれる人たちがいるんだなって気付きました。いい人たち、いい町だなって。華展をやってよかったです。
-華展を終えたあとは、いかがですか?
たくさんの人が来てくれたけど、自分が町のことをあまり知らなくて、ちゃんとホストできなかったと思い、華展の後、バス会社と役場の主催する地元を巡るツアーに、京都の友達と参加しました。
小学生以来かな?天文台に上がったり、華展をした宿場町をガイドして貰いながら歩いたり…地産のジビエが人気らしく、ジビエのピザを自分で焼いたり、ジビエのフルコースも食べました。
20年近く暮らした町なのに、知らないことばかりでした。
佐用の星は、本当にきれいなんです。星に手が届きそうって言うのが嘘じゃないような星空で、他のどんな名所に行ったって、ちょっとやそっとじゃ全然驚かないですよ。6月は、蛍も出てくるので、蛍と星の区別がつかないくらい綺麗です。
お花と英語でせとかわデニムプロジェクトを彩る
-プロジェクトに参加してみて、どうでしたか?
Slackには参加していましたが、GWの顔合わせにも、オンライン会議にも出られなかったので、8月にfloatで行われた企画会議では、ほとんど初めましての状態でした。どういう雰囲気で話していたかも全然分からなかったけど、もういいや、せっかく京都から児島まで来たし言いたいこと全部言おうって思って。自己紹介もせず話してて、しばらくしてから「あっ、愛華です」って言ったら、まみこさんに「そうだと思ってた」って言われたことを覚えています(笑)
出た案を、みんなで実現に向けて話していくのはすごく楽しかったです。「どうする?どうする?」ではなく「こうしよう!」「じゃあ、私はこれをやる!」っていう、そのテンポ、空気感がとてもよかった。限られた時間の中で、遠くてみんな会えないからこそ、集中して、意見を言い合って。それも、否定的ではなく、よりよくするために意見ぶつけられるのがいいですよね。みんなで1つのものを高い熱量で作り上げていく。1つのお芝居を作っているみたいな感覚でした。
-この8月の会議では、11/3の「せとかわ meets the デニム」に向けて話し合いましたね。 愛華さんは、イベント前日の準備でも力を貸してくれました。
ピクニックシートに関しては、「こういうの欲しい。こうだったらいいな!」って言うだけ(笑) だから、現実可能な設計図に落とし込んで、生産者さんと打ち合わせを重ねて、形にしてくれたなつきさん、なつみさん本当にすごいと思います。11月にサンプル見た時は感動しました。
同時に、商品づくりでは力になれることもなさそうだなって。だから、交流会では力になれたらいいなと思って、設営に参加しました。
サンプルそのものに触ってもらう目的もあったけど、デニムピクニックに対する期待感を高めるために、限られた予算の中で何ができるか、やすかさんやまみこさんと相談しながら、知恵を絞りました。
お手頃なテントを探して、予算管理をしているみなみさんに「お金出して貰えませんか?」って送りつけたりもしましたね(笑) テントもそうですが、来てくれた方が楽しめるようなフォトスポットを作りたくて、お花も出来るだけたくさん飾らせて貰いたいと思ったのですが、また予算が…。そしたら、まみこさんが「買い取ります!だから思い切りかわいくしよう!」って言ってくれて。この日用意したドライフラワーはみんな、まみこさんのところにお嫁入りしました。
-当日、準備中にいなくなりましたよね?(笑)
もうちょっとお花が飾りたくて、島田さんに「外の草花とってもいいですか…?」って相談したら、「いいですよ!」と言って頂いたので、急遽floatさんの近くの山に入ってお花とか取ってました(笑) おかげで、ティピーテントに飾るスワッグもつくれてよかったです。
-デニプロのホームページの英語翻訳も、愛華さんが担当してくださったんですよね。
英語ページを書かせてもらって本当によかったと思っています。実は、初めに日本語のホームページを見たとき、日本語は読めるけど、意味はよく分からなくて(笑)「英語にしてもらえませんか?」ってやすかさんから連絡もらってすぐ、通勤電車の中で英語に直してたんですけど、「???」ってなってました(笑)(もともと英語ページは、みなみさんが書いた日本語のHPを全訳したものでした)
でも、翻訳にあたって、みなみさんや生産者さんが何を伝えたくて書いたんだろう、この言葉の背景にどういう思いがあるんだろうと一つ一つ考える機会をもらいました。
HPには書かれていないけど、自分が参加できなかったイベントもあったので、そういうことも改めて考えるきっかけになり、プロジェクト全体を振り返ることができました。
そして、商品ができるまでみんなと試行錯誤してきたから、そんなみんなの思いや、瀬戸内のやわらかな空気感を伝えられるように、やわらかい言葉(英語)で紡ごうと思って。
-この日本語どういう意味?って聞かれてはっとしました。英語と日本語を行き来しながら、ただ海外に発信するのではなく、言葉の意味と一緒に自分たちへの理解を深められました。
どういうかたちで英語ページを配信していくかについて話していて、とりあえずストーリーを完結させようと決めました。(日本語ページは完結していないため)8月〜商品完成までの文章書くって決めたのが、みなみさんとの電話中だったので、この部分は夜中に電話しながら書きました。今後の打ち合わせなんかもしてると、出来上がった時には外が明るくなってたよね(笑)
瀬戸内のような、懐の深いコミュニティ。過ごした時間は宝物
-デニプロはどんなコミュニティでしたか?
離れていても、安心感のある場所だなと思いました。なかなかプロジェクトに参加できなくても、お互い忙しくしていることや、参加できなくて一番もどかしいのは本人だってことがわかっているから誰も責めない。そして「こんなのどう?」「こんなことできるよ!」って投げ掛けたら受け止めてくれるっていう安心感がありますね。否定せずに、実現するためにどうすればいいかを一緒に考える。みんなが受け止めてくれるから、私も受け止めようって気持ちになりました。
このプロジェクトの懐の深さは、きっと部長のやすかさんの人柄のおかげですね。やすかさんがすごく忙しいのに一生懸命頑張っているから、応援したくなります。みんなの声を受け止めてくれて、人を自分のカラーに染めようとしない、何色にでもなれるのが、やすか部長のカラーだと思います。
12月の移住フェアのときも、ワークショップ用に作ったスタンプがかわいかったので、イラストを描いてくれたにすちゃんに「LINEスタンプって作れませんか?」って無茶ぶりをしたら、やすか部長は真っ先に「いいですね!」って受け止めてくれて、にすちゃんも、お仕事忙しいはずなのに「作ります!」って言ってくれて…。
対価は発生しないのに、そう言うところがこのコミュニティのすごいところだと思います。
会社だと費用対効果みたいな話になるけど、対価が発生しないからこそ、みんな自分のできることに対して自分のプライドや責任を持ってやっている気がして。無償だからこそ、このプロジェクトの可能性は無限大なのかなって思いました。
忙しい時期に離れていても誰も責めないけど、参加している意義・場所を与えてくれる。瀬戸内のような、懐の深いコミュニティだと思います。可能性が無限にあるメンバー。デニプロに参加してなかったら絶対会うことのなかった人たちだから、瀬戸内が繋いでくれた縁に感謝しています。
-これからやっていきたいことはありますか?
デニプロでは、英語発信にもっと取り組んでみたいです。
それから、お花のワークショップを各地でやりたいと思っています。どんなに疲れてても、お花を見ると元気になれるんです。自分のまわりの方にも、お花を見て、かわいいな、きれいだな、好きだな、と感じて、笑顔になってほしい。難しく考えず、何かの瓶に飾るくらいでもいいから、お花を活けようよって伝えられるワークショップができたら嬉しいなと思います。
2020年5月には京都の仁和寺で大きな華展を予定していて、2021年1月にも京都の染色作家さんたちと祇園で展示会が決まっているのですが、その間にも、どこかでワークショップができればいいなと思ってます。
-最後に、デニプロメンバーや読者の方へのメッセージをお願いします。
SNSから始まって、素敵なメンバーが集まった奇跡みたいなプロジェクト。誰が欠けてもこの形のゴールはなかったと思います。
なつきさん、なつみさんがいなかったらピクニックシートは絶対、形にならなかっただろうし、パッケージ、タグ、梱包、イベント…全てそうだと思います。この16人だからこそ、今この場所に辿り着いたんだなって。
英語の商品紹介では、ピクニックシートを「宝物(treasure)」って表現したんですが、本当に、私たちの宝物ができました。
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